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2010/03/30

1944年7月、パプアニューギニア・アンボン司令部水戦基地その1

酔うとアンボンの話しでした。

現地での略奪的行為の話も、人種差別的な事も、戦争そのものが略奪行為であることも
父の話からは伺えなかったのが記憶にあります。
話は全て、いわゆる武勇伝にしか聞こえませんでした。
R0013702anbon.jpg


当時の(昭和40年頃)平和ボケ日本は「もはや戦後ではない」などと、たった20年の過去を
忘れ、いや忘れ去ろうとしていたのかもしれませんが、祖国を思う心さえも忘れ
さっていたように思います。

教育というのは恐ろしいもので、かの戦いは侵略戦争であった、
間違いは正さなければならないのだ、というのが基本だったと思います。
君が代も日の丸も否定されながら高校まで卒業しました。

軍人は二等兵に至るまで、全てが戦犯扱いのような風潮さえあったのではないでしょうか。

刷り込まれた少年の反発は凄いエネルギーとなり、僕は父と食事さえともにするのが
嫌になっていったように思います。
R0013708anbon.jpg


そして、ついに・・・・
或る日の食卓で、
「そんな話は、もういいよ。父さんは侵略者だろ!」

飛んできたのは、ビンタでもなくゲンコツでもなく、

驚きと悲しみに満ち満ちた父の眼でした。

いいのかな・・・・こんなの書いて。。。。



ま、いいか・・・

続きます。
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コメント

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今晩は!

私にはない経験ですね。 
青春期は、自己主張が強く相手の立場になれない・・・。 
一方的なモノの見方しかできません。 
誰もが通って来た道ですよね。
話題が戦争だけにねー、重々しい空気が伝わって来ます。 
まだまだ話の続き聞きたいですね。

パラオの日本文化

初めまして。国家や国旗掲揚まで否定する日本の戦争に関する歴史教育は非常に片手落ちだと感じていますが、それがお父様との確執になった事はお二方にとって辛い出来事であったと推察します。パラオで19才の時に斬り込み隊に組み込まれ、生きて帰るな、と云われた現地の方とお話しした事があります。きれいな日本語を話し、巻きスシやお雛様でもてなして下さいましたが、教育勅語を暗唱された時は、教育の力に改めて驚いた体験でした。アメリカでロデオの撮影に出かける度に、国旗と国歌を有効に使い祖国に対する気持ちを高揚させる演出には羨ましさを感じます。自分の国を誇りに思えないようにしている日本の教育環境には、再考すべき点が多々あるように感じています。

撃墜王ナガモトさんへ。

>青春期は、自己主張が強く相手の立場になれない・・・。 
一方的なモノの見方しかできません。 

ただ、親子が全身と全霊でぶつかり合うことは
貴重な体験であり、そこから信頼や決して変えられない絆を感じ取って
いくものなのでしょうね。

今の時代、そういう親子関係を構築することが
段々難しくなっているように思います。

yokoblueplanet #- さんへ。

はじめまして、おはようございます。

国家論、国威発揚問題、難しいですね。

戦勝国アメリカがGHQに命じた作戦を自分は『50年時限爆弾』と呼んでます。
つまり様々な国民意識を骨抜きにして、50年後に爆発させようという作戦です。

ほぼ、作戦は成功したように見えます。

今後とも宜しくお願い申し上げます。