2010/03/31

1944年7月、パプアニューギニア・アンボン司令部水戦基地その2

さまざま反響をいただきありがとうございます。
父が死んで17年になります。
まあ、供養にもなりませんでしょうが、もう少し書いてみます。



亡父は水泳・背泳の国体選手でした。
泳ぎは抜群に美しいものでした。
自宅の裏に学校のプールがあり、夏場はよく無断で忍び込んで
酔い覚ましに泳いでいました。酒の飲み方含めて破天荒な人でした。
R0013707anbon.jpg

当時、往年のスター歌手に藤山一郎がいました。
彼もアンボンに慰問派遣的に召集されました。
紐解くといろんな資料がでてきます。
彼は南方特有の熱病のひとつに感染してしまったようです。
数日間、高熱にうなされ生死を彷徨うような状態だったそうです。

新兵だった亡父はその面倒をみる、という役割を与えられたそうです。

そのせいか、酔うと良く藤山一郎の歌をガナってました。

R0013710anbon.jpg

戦後何度かアンボンの部隊所属者による現地訪問の案内がきていましたが、
父は一度も参加せず、葉書も殆ど見もせず捨てていました。
余程、行きたくなかったのでしょうね。

続きます
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コメント

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おはようございます。

既に亡くなりましたが、インパール方面に徴兵されていた伯父が一人いました。体験を本にしていましたが、話したくても話せない状況の方々はたくさん居られたと思います。アメリカでもヴェトナムやイラク戦争の帰還兵の中に、社会復帰できず、母国で過酷な状況に追いやられています。指揮官クラスが部下や民間人を置いてきぼりにして遁走してしまった戦況から帰国し、大方社会復帰し立派に働いて来られた日本の戦争体験者には頭が下がります。彼らの体験を広く知らしめる事が次世代の役目かとも思います。お父様のご供養にもなっているのではないでしょうか。

yokoblueplanet #-さんへ。

>お父様のご供養にもなっているのではないでしょうか。

暖かいお言葉ありがとうございます。
戦争の武器として発達を遂げるのは
文明の利器に共通することなのでしょうが、
飛行機を兵器として見るのは辛いものがあります。
強さ故の美しさなのでしょうが・・・

おはようございます

戦争を知らず、爪あとも知らない時代に生まれた私には、なんとも・・・言葉を失います。 

私は仕事上、ウチの展示館のご来館者で 兵役経験のある方からお話を伺う機会がありますが、

当時を懐かしく思われてる方と、思い出したくもない 忘れさりたいタイプの方がおられます。 

真実を聞くだけでも、非常にデリケートな問題です・・・。

亡父

今日は。
自分の思い出を一言。
父が亡くなる数年前、私が中国に転勤になると連絡したら珍しく手紙が来ました。
「中国に行くのは反対だ。戦争中に日本人は中国人にひどいことをしたので、
お前も中国に行くとひどい目に会う」と言う内容でした。
亡父から戦争の話は一度も聞いたことは有りませんが、子供の頃に見た父のアルバムや、
家にあった携帯用医療器具から衛生兵ではなかったかと思っています。
その年代の方はみな、戦争に対して自分なりの思いが強いと思いますが、
お父様は自分の「生きた証」をお話されたかったのだと思います。

撃墜王ナガモト さんへ。

いつもありがとうございます。

>兵役経験のある方からお話を伺う機会がありますが

いい体験ですよね。 お仕事ですから大変だとは思いますが・・・・・

その方々もご高齢になり、伝えるすべを失いつつあります。

私たちの責任は重いですね。

haichaolu さんへ。

はじめまして、こんばんは。

>お父様は自分の「生きた証」をお話されたかったのだと思います。

そうなんでしょうね・・・・・
今なら受け止めて語り合えるものを・・・・

失った時を省みる今夜です。

いいお写真が一杯のブログですね。
また、ゆっくり見させていただきます。

ありがとうございました。